FFネタも後で書こうと思いますが、わこさんの日記を読んでちょっと昔を思い出したので書いてみます。


どんな病気もそうですが、自分がならないとわからないものですね。

頭痛や肩凝りって大したことないんだと思っていて、実際重いのになったら(こんな痛いの無理っ!)と即行病院に行きました。
突き指って垂直方向にただぶつかるだけで、打撲や骨折に比べたらすり傷みたいなものだと思っていたら、泣きそうなくらい痛かったです。

鬱病もそうで、(ただの気持ちダウンだから自分でもっと頑張ればいいのに〜)と思っていたら、実はとんでもないものだったの。


鬱病になった(これがそうだと認識した)のは数年前。
一応復活はしたのだけれども、風邪のようなものなので、軽いのには今でもたまになります。
軽いだけに、自覚もある分直し方もわかります。

ですが微妙にコツがいるので、もし自分がそうなのではと思ったら、一度専門のお医者さんにかかるのをお薦めします。
自分である程度のマインドコントロールができるようになれば OK です。

もちろん目の前で5円玉の振り子を使って、催眠術をかけるわけではないです。


ただ鬱病が重度の時。

頑張るのとかもう無理。
(どうにか頑張って生きてるのに、これ以上何をしろというのか)みたいな。
「死にたい」というか「消えてなくなりたい」とよく思いました。
それが死であるなら、それを望むという感じで。
身近な人に「頑張って」と言われても、どうしようもなくて、ただただ悲しくて涙が出てきて、言葉も出なくなりました。

人に「死にたい」みたいなことを言っちゃうのは、いわゆる悲劇のヒロインになりたいのです。
そしてそれに対して「死ねば?」と言われたら、(私はやっぱりいらない子なのね)という、死に対しての正当な理由ができる為、決して言わない方がいいのです。

ただもっと重度の鬱病の場合は、人に言うとか以前に人と関われないので、自己完結で死んでしまうでしょう。
人に話せるだけまし。


私も重度の鬱病になって、死に場所巡りとかもしたものです。

でも実際は、

ボーっと道を歩いて車道にふらふらと出て、小さな子供に「お姉ちゃん危ないよ」と手を引っ張られたり、
高い場所から飛び降りようと思ったのに、柵が高すぎて超えられなかったり、(高所恐怖性なの)
海に向かって歩いて行こうとしたら、野放し散歩中の犬に後ろから頭突きをくらったり、

何故だか知りませんが、ことごとく邪魔をされました。

その度にハッと我に返ります。


まあ、邪魔をされなくても生きていたと思います。
死ぬ(作業をする)のは怖いという理性が残っていたのと、おばあちゃんが側にいてくれたからかなぁ。
ずっと部屋に閉じこもっていたのを責めるでもなく、ただ黙ってご飯を作っては持ってきてくれたの。
数ヶ月そんな風に過ごして、段々と(私は何をしているのだろう)と疑問に思うようになって、少しずつ部屋の外に出るようになり、それから意を決して病院に通いました。

両親もとても悲しんだし、どうにかしようといつもアドバイスを持ってきたり、いわゆる叱咤激励を部屋でしていくのですが、それをされると余計に辛かったです。
「私はダメな子なのだ」というレッテルを植付けに来るとでも言うのかしら。
おばあちゃんのように、何も言わずに黙って見ていてくれる人って普通はいないですよね。
鬱病の知識があったとも思えないし。

おばあちゃんが悲しむのは見たくない、というのが最後の砦だった感じです。


今思えばよく復活できたものです。

おばあちゃん、ありがとう。


けっこう復活した頃、おばあちゃんと2人で京都に旅行して、こんな世界があったのかと思いました。
京都を訪れないまま死ななくて良かったと、心から思いました。

食べ物がおいしい〜♪( ̄∇ ̄)

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