慣れてないのーーーーーーーー@リアル
2004年10月23日 リアル台風もね、あんまうちのとこ来ないんですよ。
本州の大きな山脈を突っ切って来るので、威力も弱まるので怖くないの。
それがどうですか。
今年は台風来まくりで参りましたよ。
私自身は、不謹慎ながら風台風は大好きなのですけどね。(´・ω・`)
ここら辺の人は台風対策ってあんまりしないのか、来ても大したことないと思っているのか、どうも南日本の辺りの人程気合い入れていないように思います。
だから今年のように台風来まくりで、しかも大きいものだったりするとエライことになります。
お祭り騒ぎを通り越してパニックに。
地震もね、そうなんですよ。
昨日から地震が続いています。
地震大国の日本に住んでいながら、私は地震とはあまり縁がなく、4、5年関東にいた時も最大震度2までしか体験したことがありません。
しかも2回くらい。
過去の地震体験と言えば、小学校の授業中に地震が来て、ほぼ全員初めての地震体験だったのでみんなパニックに陥りました。
けっこう長く揺れてたように思うのですが、
机の下に潜っている時に揺れてる机を更に揺り動かして遊ぶ友達、
恐ろしさに「お母さん」と叫びながら泣き出す友達、
給食中だったので大好きなデザートを隣りから盗む友達、
地震が終わった後も何故かランドセルを抱えて離さない友達、
と色々いました。
普段はどんなに頼んでもTVなんてつけない先生も、この時ばかりは地震速報を見るべくTVをつけました。
地震ってこの先生にTVをつけさせるくらいすごいものなのか。
と思ったのと、
こんなにすごい地震があったのに、どうしてTVでは悠長に地震速報なんて流しているのだろう、この人たちは危なくないのかしら?
と疑問を抱いた記憶があります。
そしてその後避難訓練のように校内放送がかかり、訓練ではないのでみんな必死で脱出しようと廊下は騒然。
その日から数日後、学校に地震体験車というものがやってきました。
震度6までを体験できるとかで、その車は注目の的、たまたま選ばれて見事その地震体験を果たした友達は一躍スターになりました。
こんなイベント盛り沢山のことまでしたその時の地震ですが、
震度1だったのですよ。(・Д・)
それくらい地震にはあまり縁のない地域なの。
とは言え、過去には新潟地震と呼ばれる大きな災害もあったので、その時の経験談は親や祖母から聞かされます。
でも自分ではそんな地震なんて体験したことがないので、あの小学校の時の地震が自分の中で全てだったのです。
人生2度目の地震は東京で体験しました。
それが震度2で、私は4階にいたのですが、
なんでこんなに揺れるの!
この建物は壊れてなくなって、私はここで死んでしまうのか
と本気で思いました。
普通に泣きまくってました。
隣りの人の笑い声が聞こえてきて、パニックでおかしくなったのだと思いました。
何を持って脱出したら良いのかと、地震が終わってから数時間も悩みました。
避難バッグ(主に貴重品)を作って2ヶ月ほど置いてありました。
友達がやって来て笑われるまで、一番目立つところに置いてあったの。
泥棒さんが来たらどうなっていたかしら。
3回目以降は、震度1でも2でもやっぱりうろたえはしましたが、そこそこ慣れて来て、割と普通に対応していたと思います。
そうかと言って、「あ、揺れたね」で会話を終わらせる友達には納得がいきませんでした。
その友達は静岡の人で、地震は日常茶飯事なのだそうです。
そんな危険なところによく住んでるわね、と急に友達を見直した瞬間でもあります。
そして今回の地震。
うちの周辺は震度4でした。
なので全然大丈夫なのです。
でも大丈夫じゃないのです。
みんなパニックです。
ちょうどその時間、私は塾で授業をしていて地震がやってきました。
すぐ治まると思っていたら思いの外長くて、生徒も騒ぎ出しました。
私自身は立っているのが怖くなって、その場に座り込みました。
その後は当然授業どころではなく。ヽ( ̄ - ̄)ノ
時間になって家に帰ろうとしたのですが、今日に限って仕事場まで送ってもらっていて、車がなかったのです。
お電話して迎えの車が来るまでと歩き始めました。
電話通じないーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
携帯どころか家電もダメ。
家から家も通じません。
何と言うか、ここでパニックに。
通じないとわかっているのに、それが恐ろしくて迎えには関係ない相方さんにまで電話しまくりました。
何十回かのトライでやっと相方さんに電話が通じる。
世界にたった一人取り残されたような不安な気持ちでいたので、妙に安心しました。
が、相方さんの第一声。
相方 「バオyがBは9B図9がbどふぁれt」
さや 「はい?」
相方 「差fd:ペ絵ナ路ェ[っぺrsん9」
実際はもっとちゃんとした言葉だったと思うのだけど、自分がパニックに陥っているせいで聞き取れません。
けっこう半泣き。
そこへ駄目押し、3度目の地震。
道が揺れてるーーーーーーーーーーーーーーーー
いやあああああぁぁあああぁぁあっっっっっっっっっ
その場でグルグル周って揺れてない安全なところを探そうと考え、
(今思うと地震なので揺れてないところがあるわけがない)
結局道端に座り込んで、側にあった電柱につかまる。
もう電話していても、相方さんの声なんて聞こえていません。
何か話してたように思うのだけど、会話を全く覚えていません。
道路を挟んで向かい側のお店のおじちゃんと目が合う。
向こうも鉄棒のようなものにしがみついて、その場に座っている。
ちょっと親近感。
その場で待機していると、地震が治まり、辺りを見渡すとあるお店から2人出てきました。
友達だぁああああぁっぁぁ
相方さんとの電話を即行切るw
やっと見つけたオアシスに辿り着いた気分だったのは覚えています。
かなり嬉しかったのです。
友達 「さや めちゃめちゃ嬉しそうに走ってきたねー!」
さや 「だって怖かったんだもんーーーーー」
かなり笑われましたが、おかげで落ち着きました。
家には電話も通じないし、迎えにも来てもらえないという状態だったので、その友達のお店に立ち寄り、飲み!
そしてケーキを食べて、ようやく落ち着いたところで、電話も繋がり帰宅。
家に帰って再び相方さんにお電話すると、
相方 「初めての震度4は楽しかった?w」
楽しいわけあるかー!ヽ(`Д´)ノ
本州の大きな山脈を突っ切って来るので、威力も弱まるので怖くないの。
それがどうですか。
今年は台風来まくりで参りましたよ。
私自身は、不謹慎ながら風台風は大好きなのですけどね。(´・ω・`)
ここら辺の人は台風対策ってあんまりしないのか、来ても大したことないと思っているのか、どうも南日本の辺りの人程気合い入れていないように思います。
だから今年のように台風来まくりで、しかも大きいものだったりするとエライことになります。
お祭り騒ぎを通り越してパニックに。
地震もね、そうなんですよ。
昨日から地震が続いています。
地震大国の日本に住んでいながら、私は地震とはあまり縁がなく、4、5年関東にいた時も最大震度2までしか体験したことがありません。
しかも2回くらい。
過去の地震体験と言えば、小学校の授業中に地震が来て、ほぼ全員初めての地震体験だったのでみんなパニックに陥りました。
けっこう長く揺れてたように思うのですが、
机の下に潜っている時に揺れてる机を更に揺り動かして遊ぶ友達、
恐ろしさに「お母さん」と叫びながら泣き出す友達、
給食中だったので大好きなデザートを隣りから盗む友達、
地震が終わった後も何故かランドセルを抱えて離さない友達、
と色々いました。
普段はどんなに頼んでもTVなんてつけない先生も、この時ばかりは地震速報を見るべくTVをつけました。
地震ってこの先生にTVをつけさせるくらいすごいものなのか。
と思ったのと、
こんなにすごい地震があったのに、どうしてTVでは悠長に地震速報なんて流しているのだろう、この人たちは危なくないのかしら?
と疑問を抱いた記憶があります。
そしてその後避難訓練のように校内放送がかかり、訓練ではないのでみんな必死で脱出しようと廊下は騒然。
その日から数日後、学校に地震体験車というものがやってきました。
震度6までを体験できるとかで、その車は注目の的、たまたま選ばれて見事その地震体験を果たした友達は一躍スターになりました。
こんなイベント盛り沢山のことまでしたその時の地震ですが、
震度1だったのですよ。(・Д・)
それくらい地震にはあまり縁のない地域なの。
とは言え、過去には新潟地震と呼ばれる大きな災害もあったので、その時の経験談は親や祖母から聞かされます。
でも自分ではそんな地震なんて体験したことがないので、あの小学校の時の地震が自分の中で全てだったのです。
人生2度目の地震は東京で体験しました。
それが震度2で、私は4階にいたのですが、
なんでこんなに揺れるの!
この建物は壊れてなくなって、私はここで死んでしまうのか
と本気で思いました。
普通に泣きまくってました。
隣りの人の笑い声が聞こえてきて、パニックでおかしくなったのだと思いました。
何を持って脱出したら良いのかと、地震が終わってから数時間も悩みました。
避難バッグ(主に貴重品)を作って2ヶ月ほど置いてありました。
友達がやって来て笑われるまで、一番目立つところに置いてあったの。
泥棒さんが来たらどうなっていたかしら。
3回目以降は、震度1でも2でもやっぱりうろたえはしましたが、そこそこ慣れて来て、割と普通に対応していたと思います。
そうかと言って、「あ、揺れたね」で会話を終わらせる友達には納得がいきませんでした。
その友達は静岡の人で、地震は日常茶飯事なのだそうです。
そんな危険なところによく住んでるわね、と急に友達を見直した瞬間でもあります。
そして今回の地震。
うちの周辺は震度4でした。
なので全然大丈夫なのです。
でも大丈夫じゃないのです。
みんなパニックです。
ちょうどその時間、私は塾で授業をしていて地震がやってきました。
すぐ治まると思っていたら思いの外長くて、生徒も騒ぎ出しました。
私自身は立っているのが怖くなって、その場に座り込みました。
その後は当然授業どころではなく。ヽ( ̄ - ̄)ノ
時間になって家に帰ろうとしたのですが、今日に限って仕事場まで送ってもらっていて、車がなかったのです。
お電話して迎えの車が来るまでと歩き始めました。
電話通じないーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
携帯どころか家電もダメ。
家から家も通じません。
何と言うか、ここでパニックに。
通じないとわかっているのに、それが恐ろしくて迎えには関係ない相方さんにまで電話しまくりました。
何十回かのトライでやっと相方さんに電話が通じる。
世界にたった一人取り残されたような不安な気持ちでいたので、妙に安心しました。
が、相方さんの第一声。
相方 「バオyがBは9B図9がbどふぁれt」
さや 「はい?」
相方 「差fd:ペ絵ナ路ェ[っぺrsん9」
実際はもっとちゃんとした言葉だったと思うのだけど、自分がパニックに陥っているせいで聞き取れません。
けっこう半泣き。
そこへ駄目押し、3度目の地震。
道が揺れてるーーーーーーーーーーーーーーーー
いやあああああぁぁあああぁぁあっっっっっっっっっ
その場でグルグル周って揺れてない安全なところを探そうと考え、
(今思うと地震なので揺れてないところがあるわけがない)
結局道端に座り込んで、側にあった電柱につかまる。
もう電話していても、相方さんの声なんて聞こえていません。
何か話してたように思うのだけど、会話を全く覚えていません。
道路を挟んで向かい側のお店のおじちゃんと目が合う。
向こうも鉄棒のようなものにしがみついて、その場に座っている。
ちょっと親近感。
その場で待機していると、地震が治まり、辺りを見渡すとあるお店から2人出てきました。
友達だぁああああぁっぁぁ
相方さんとの電話を即行切るw
やっと見つけたオアシスに辿り着いた気分だったのは覚えています。
かなり嬉しかったのです。
友達 「さや めちゃめちゃ嬉しそうに走ってきたねー!」
さや 「だって怖かったんだもんーーーーー」
かなり笑われましたが、おかげで落ち着きました。
家には電話も通じないし、迎えにも来てもらえないという状態だったので、その友達のお店に立ち寄り、飲み!
そしてケーキを食べて、ようやく落ち着いたところで、電話も繋がり帰宅。
家に帰って再び相方さんにお電話すると、
相方 「初めての震度4は楽しかった?w」
楽しいわけあるかー!ヽ(`Д´)ノ
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